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高校時代に培われた「普通が一番ダメ」というマイルール

どうも!買い物中毒のファション通販アドバイザーの野田(@KURUZE)です。お買い物してますか?

エクスマのエヴァンジェスト・コースで半年間、自分の棚卸しを続ける中で気づいたことがあります。それは「ボクってハミ出してないとダメなんだな」ってこと。いつからか普通という選択肢を一番嫌うような性格になっていた。

例えば、誰かがセミナー内容を発信していたらボクは違う視点から発信したいと考える。

例えば、スニーカーは買ったら「置物」として何年か寝かせ、誰も履いてる人がいなくなったら履く。

例えば、時計は時間を一切合わせないで、ブレスレットして使うことが正しい使い方だと思っている。

例えば、ゲレンデの方が高級車というイメージだし便利。それでも不便なディフェンダーを選ぶ。

例えば、集合写真を撮る際は最後列の一番端じゃないと落ち着かない。そもそも写真が大の苦手。

ま、あげればキリがないんだけど、とにかく「普通が一番ダメ」というのが、ボクのマイルールとしてあります。

いつからこんなハミ出ししてないと自分の立ち位置を見つけられないようになったか振り返ってみると、多分高校生のときだと思うんです。

 

自分の中にもう1つの視点ができた高校時代

ボクがいった高校は埼玉県北部の私立高校で、マジでださかった。成金時代だったので服は湯水のように買ってたし、ませた姉貴の影響でクラブにも出入りするようになっていたボクにとって、埼玉県北部の学校のおしゃれレベルは正直低すぎた(笑)。入学早々、制服のケツポケットから軍手を出している同級生を見て「なんだそれ?」と、まったくもって理解できませんでした。

今も昔も極度の人見知りなボクは、ここで心を閉ざします。そうなると完全に自分の中にもう1チャンネルできて、常に斜に物事を捉えるようになります。決定的だったのは秋の文化祭の前。スチャダラパーのポテン・ヒッツのTシャツを着ているボクを見て音楽好きだと思ったのか、同級生が声をかけてきました。

「今度の文化祭でバンド組むんだけど、ノダッチもどう?」。ま、ここまではよくある高校生の会話。当然コピーバンドです。問題となるのは、どのバンドの曲を演るのかということ。そこで「どのバンドのコピー演んの?」と尋ねると・・・

「ジュディ・アンド・マリー」

ボクの心が壊れた瞬間です。

もう高校生ですよ!? 百歩譲って中学生なら分かる。百歩譲ってBOOWYならまだ分かる。それなのに高校生でジュディ・アンド・マリーって。。。

フリッパーズもしくは小沢健二、それかブランキーっていうような名前を想像してたボクにとってジュディ・アンド・マリーは衝撃的すぎる答え。完全にこの学校に居場所がないことを悟りました。

Album_de_Schadaraparr
スケシンさんがデザインしたポテン・ヒッツのジャケット。このキャラのTシャツ大好きだったなー。激レアだったし今でも超ほしいー

 

思えば部活でも最低なことしてました

部活は剣道部でした。剣道は比較的強い方で、中学生のころに埼玉県で3位になったこともあり、いくつか推薦も来てました。ボクはそもそも剣道が大嫌いなんだけど、「一生懸命毎日練習している人を、テキトーに練習しているボクが圧勝する」という図式がたまらなく快感で、それだけを生きがいに高校生になっても続けてました。

ボクの高校は「気合いと根性」でなんとかしようとする風潮があり、練習も3時間とか4時間にも及びます。みんな長時間に渡って、一生懸命竹刀を振っている。でもボクは「練習なんて1時間半で十分。それ以上は集中続かないし」と信じて疑わなかったので、無駄だと思う練習の際にはひたすら手を抜いてました。

そして自稽古 (じげいこ) と呼ばれる顧問の先生と直接竹刀を合わせて稽古する際には、道場の柱の影に隠れて休む。これがマイルール。

普通は週一くらいの頻度で先生に稽古をつけてもらうのが暗黙のルールです。でも稽古にいくと「気合いだ!」「根性だ!」って、何の具体性もないことをひたすら言われて、ただ体力を消耗するだけ。そんなことに全くもって価値を感じなかったボクは、先生の元に稽古行かない記録で今も歴代最高記録を持っていると思います。なんせ引退するまでの2年半で2回しか行ってないので (笑)。

そんなこんなで埼玉県3位という実績を引っさげ鳴り物入りで入団したものの、伝統と格式を重んじる武道において異端児すぎるボクのスタンスは、顧問の先生から煙たがられ、ずっとレギュラーではありませんでした。

でもちゃんと必要だと思う練習では、しっかり考えて工夫してたので正直レギュラーより強かった。3時間とか4時間一心不乱に竹刀を振り回すより、半分の時間でも頭を使って練習する方が身になるのです。

その証拠に最後の一番重要な大会では、顧問の先生がボクをレギュラーに抜擢。「気合いと根性」「伝統と格式」そんな旧態然とした体制にアンチを唱え続けたボクの信念が顧問の先生の信念を覆した瞬間です (笑)。


そんな感じでヒネくれまくったスタンスながら、そこそこの結果が出てしまった高校時代。ここでの体験がボクのサブカルチャー人生のルーツなのか、より一層深化した熟成期間なのかは分かりませんが、大きなターニングポイントになったことは間違いない。

あ、ちなみにこの話には後日談があります。

高校を卒業して10年くらいした頃、ネットサーフィンをしていると剣道部のホームページを見つけたんですね。そこには現在の活動報告があり、ボクが教わっていた顧問の先生もまだいらっしゃいました。

他にも卒業生からのメッセージというコーナーがあり、覗いてみると知っている先輩や後輩、そして同級生たちがコメントを寄せていたのでボクも可愛い後輩にメッセージを贈ろうと書き込みました。

「あんまり剣道ばっかりやってると将来の可能性狭まるよ。剣道はほどほどにして、もっともっと遊んで自分の選択肢を増やしてね!」って。

翌日、そのメッセージはばっちり削除されてました (苦笑)。

若いうちは遊びまくって自分の視野を広げた方が良いと思ったんだけどなぁ。そりゃ何かに打ち込むことは大事だと思いますよ。でも盲目的に情報をシャットアウトするのではなく、色々知った上で自分で選んだことの方が打ち込めると思うんですけどねぇ。

ま、そんな「気合いと根性」「伝統と格式」とは、どこまでいってもソリが合わないボクの高校時代のお話でした。ヤンキーとは違う、こんなツッパリ方もあるんです(笑)。