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わざわざそこに我を入れる必要ってある?

どうも!買い物中毒のファション通販アドバイザーの野田(@KURUZE)です。お買い物してますか?

シレーっとスタートしてますが、相当久々のブログです。すいません。

今日のテーマは「知り合い」と「友だち」について。会話中、なにかとあれば「私の知り合いが・・・」って挟んでくる人っていません?あれ、ウザいんですよねー。クズなボクからすると「本当にその人はあなたのこと認識しているの?」と思ってしまう。

ボクは会話の流れに沿っていれば「ボクの友だちにこういう人がいて、こういうことやってるんだよね」と話すのはアリだと思うんだけど「知り合い」だったら、あまり話さない方がいんじゃないかなって思っている人です。

なぜなら言えば言うほど、自分の株が下がると思っているので。多分話している本人からすると「あの人と知り合い」というのはステータスだと思っているんだろうけど、聞いてる人にとって「あの人と知り合いなのすげー!」ってなることは、そうそうないと思う。

例えば、何か相談されたときに「ボクの知り合いに、これこれこういう仕事をしている人がいて、こういうことしたら解決したみたいだよ」って答えるケースってあると思うんですけど、冒頭の「ボクの知り合いに」って枕詞がいる?って思っちゃう (笑)。「これこれこういう仕事をしている人がいて、こういうことしたら解決したって聞いたことあるよ」で良くない?って。そこに「ボクの知り合い」という我を入れる必要ってあるのかなって思うんですよ。

さらには相談相手もより突っ込んで話を聞きたいってなったとしても、実は相談している人は、その事例の持ち主とただの知り合い程度でさらなる情報を聞こうにも聞き出せない程度の関係性ということもありえる。というか、それがほとんどのような気がする。だったら安易に語らないでほしいなって思ってしまうんですね。

でもこれが「友だち」であれば、そこに関係性が存在するわけで、その関係性があって初めて他者に語れる資格があるように思えます。とはいっても「虎の威を借りる狐」のように「ボクの友だちが、ボクの友だちが」じゃ当然ダメなんだろうけどね。

って結局はダメじゃん (笑)。いや、まぁなんて言えばいいんだろうなぁ。要は人の話をする際には「我を入れない」ってことかな。「ボクの知り合いに、こういうことしている人いるよ」ではなく「こういうことしている人と前にあったよ」で良くない?って。そんな感じ。